その法を示してあげよう
2020.01.05
自分の人生では自分の遺伝子を
変えることができないが
子を見ると、その願いが遺伝子となって現れていることが多い。
現代の子供たちをみてみると、身長は10センチほども高く、顔も西洋人に負けないイケメンが多くなっている。
これは、私達の時代から30年ほど前の人たちの
切なる思いが遺伝子を変えたのかもしれない。
例えば
もっと足が長くなりたい
もっと小顔になりたい
もっと頭が良くなりたい
もっと強くなりたい
もっと格好良くなりたい
これが、真実だとすると
人の思いが、遺伝子という微細ではあるが、
最も強硬なはずの構造物を変化させたことになる。
であるなら、自分の病気や人生を変えることなど
お茶の子さいさい、簡単なことに違いない。
遺伝子の背後にあるものは、量子場であるからだ。
実際その通りなのだ。
ただその方法を知らない。
ただそれだけだ。
ではその方法とは?
ここに、量子の法が立ち塞がっている。
その法がわかると人生、ゲームのように面白くなる。
逆にその法がわからないと、ただただ人生は混沌として見える。
当然と言えば当然の話だ。
サッカーや野球、バスケットボールなど
ルール、つまり法がわからないのに頑張ると、ひどいことになる。
だから、今年ほど量子の法が関心を引く一年はないだろう。
私のところに来るといい。
遠慮なく
一目瞭然、その法を示してあげよう。
どうして支配できようか
2020.01.05
観る者と観られる者の関係は
量子場調整の基本だ
量子力学の基本ではない。
量子力学の基本は
見る者と観られるモノの関係だ。
量子関連の科学者達は量子そのものを
測定できたとしても
そのデータは信頼性できないという。
それはその通りだ。
その測定者が、上から量子を観察しているわけだから
その観察行為によってデータが変化してしまう。
それほど量子は、意識に反応する。
量子は日本人に似てシャイなのだ。
これを逆に観ると
量子は知性を持っていることになる。
量子の知性という私小説を近いうちに再発行するが
この中で訴えているように
量子は、意思に従う以上の愛と知性がある。
もし、この量子をモノと扱うなら、量子を友人にすることはできないだろう。
私たちは、量子を友人以上のパートナーと知っている。
それはこんな感じだ
ダンスをしている二人のパートナー
二人の間に共通の思いがあるなら
ここに科学が成り立つ。
科学者はこのようなことを考えたくない
彼らは完全な上から目線での直線的な支配が
科学であると、はばからないのだから。
それはそれで、良いことだ。
しかし、知性を持った量子、
その量子は、ペットのような愛を持ち
同時に、瞬間的に現れ消える黄金バットなのだ。
そんな神の王子をどうして、上から目線で
支配できようか。
人類の遺産
2020.01.04
虎は死して皮を留め、人は死して名を残すというが
お正月なので、このことを量子場の観点から考えてみた。
物理次元の肉体は若いうちに鍛えられると、とんでもないことができるようになる。
しかし、その個人的な能力は年を追うごとに失わざるを得ない。
権力のお金や権力は中年で大きなパワーを持ったものに成長することができるが、それらを死が全て奪い去る。
意識に働きかける修行者は死をも超える光明に至るらしい。
量子の世界は、意識と結びついているがために3番目の修行者に近い。
そのため意識と心の世界である量子が結びつき、
もし、老化が進み目や耳、身体が病んだとしても
その成長にとどまる所はない。
この中で、人は死して何を残すか
量子場的にはこのようだ。
物理次元での身体の限界を越えようとする意志は、集合意識の中に遺伝子を残し
お金や資産は、後世にその力を残し
意識の世界は、この世界に芸術としての作品を残す
これらは、等分に価値ある人類の遺産だと思う。
そんなところからのオリンピック
彼らが人類に残すのは
人類としての限界を超えた遺伝子なのだろう。