普通のことではない
2020.03.02
意識と無意識
誰しもその関係は理解できるだろう
しかし、意識と潜在意識の関係はよくわからない。
それもそうなのだ。
知らないうちに目の前の世界が夢の世界に変わったしまう。
ここに、気づくべきことがある。
顕在している意識から、
潜在してる意識世界に移動するために
普通一度、疲れ果てた無意識を通らなくてはならない。
その後に夢、つまり潜在している世界を垣間見る。
顕在している世界と潜在している世界の間に直接の架け橋はない。
この橋を渡るのに
一度無意識を通るから、何が何だかわからなくなる。
ここで、意識と無意識の間に直接の架け橋を創ること。
それが、無意識的な努力の道だ。
普通のことではない。
そのことで、自分自身のまだ見ぬ個性や免疫力やらとつながるのだ。
当たり前の話だ
2020.03.02
政治劇やニュース劇場はドキドキハラハラ楽しい見世物ではあるが
私たちはそろそろ、これらの作り事に気がつかなければならない。
意識はいくら騙されても、あっけらかんとしているが
無意識となると、そうはいかない。
病気になったり、信頼感を失ったり
その結果生命力や免疫力が低下してしまう。
無意識の背後にいる潜在意識は、想像を超えた能力が潜在している。
しかし、その能力がゆえに、奇病やあらゆる病気をも創る。
豊かな土壌に、作り物のプラスチックゴミや汚染された廃棄物が撒かれると
土の能力が失われかねない。
同じように、私たちの世界が嘘や恐怖で埋め尽くされると、無意識は辛い状態にで耐えようとする。
そのことを病気になるまで誰も知ることができない。
知ったところでハラハラ劇場が、たいそうな理屈をこねて一巻の終わりとなる。
守られるべきものは、母なる大地が如く潜在能力なのだが、それが見せかけの劇場で撹乱される。
そんな状況の中で
コロナが去った後も
免疫力が低下し、不安感や病気を誘発することになる。
当たり前の話だ。
そのことに気がつく可能性
2020.02.28
多くのイベントが中止になり、小中高学校も全国的に、3月15日まで一斉休校になった。
これは、コロナウィルスあっての良い側面かもしれない。
このことによって、働き蜂のように仕事に勉強に明け暮れている
習慣を変えることになる。
現代社会は、意識的な努力そのものだが、無意識的な努力に気がつく可能性がある。
もし、このことに気がつくと、人生や自分という考え方も変わるかもしれない。
それは、このようなことだ。
今までは、自分自身を社会や周りの状況、評価から考えることが主だったのが、自分の無意識の力がどの程度のものか考えさせられる。
免疫力もその一つだが、自分のより深い喜びはどこにあるのだろうか。
元気さも喜びも周りからくると思っていたことが、そのきっかけがなくなる。
何もしなくていいと言われる時代がやってくるからだ。
この時期はそんな時の予行練習のようだ。
だから、この短い時間に無意識的な努力のチャンネルを開くべきだと思う。
意識的な努力は、人、物、時間、出来事といった物理的な意識であるが
無意識的な努力は、イメージそのものに働きかけ、その変化を無意識に機が熟したように落とす。
例えば、免疫力といイメージを、自分の都合や必要性などを入れずに
意識そのものに見せることだ。
その時、意識という全知全能の意識そのものが、無意識に免疫力を形成する。
この方法は意識的な努力ではない。
意識そのものは努力する必要がないほど、圧倒的に高い能力をあらかじめ持っている。
そのことに気がつく可能性だ。