観えるのさ。。。
2019.11.13
男性は犠牲者意識が本能のようにある。
動物でさえ、家族を守るために、何の見返りも顧みずオオカミやライオンの犠牲になろうとする。
人間は、もっと込み入った犠牲者意識がある。
戦争にさえ国や家族のためと真に受け、命さえ差し出し、インフラを整えるために地下に潜り泥だらけになって頑張ってきた男性意識。
ここで、何が言いたい事かというと
これから女性の華々しい時代がやってくる!
男性の仕事が、来るべき素晴らしい時代の仕上げに向かっているからだ。
どんな素晴らしい時代がやってくるのだろうか。
決まっている。
心の世界、量子の時代だ。
この世界は、人間自身の解放になるだろう。
医学や科学が病気を解放するだけではなく、量子そのものが意識を含めて根こそぎ人を解放する。
だから、今時熟して、心ある女性たちが量子を理解するべきだ。
その事で、女性が子供達を育ててきたように、人間の眠っている今は小さな潜在能力そのものを育てる前代未聞の世界になる。
どうしてそんなことが言えるかって?
観えるのさ。。。
三つ巴
2019.11.10
ジャンケンはグーチョキ、パー片手だけで勝負を決められる。
うちのかあちゃんともよくジャンケンで物事を決める。
何度も事あるごとにやっているので、最近は声だけでの3回勝負が多い。
この三つどもえの関係は、世界の三つの価値観とも符合しているように思う。
グーは拳を固めるので、中国的なパワーを感じさせる
チョキはハサミのように巧妙に世界を支配しようとする西洋
パーは全体を意識つつ、和を重んじる日本社会
日本人のようなパー意識は、西洋の支配的なチョキ意識に負ける。
西洋のチョキはいずれ中国のパワーのグーには負けるだろう。
しかし、そのグーのパワーに日本のパーは勝つ。
パワーと支配、それと調和を重んじる和の社会
この三つは、同じように量子場でも言える。
支配構造を持った、身体
陰陽の揺らぎの中にあるパワー
意識によって自在に変化する量子
この三つの構造が、量子場の3重構造である。
そのため、このグー、チョキ、パーのどれがなくても円滑な世界にはならない。
つまり、この世界から支配が消えても、覇権が消えても、和の意識が消えても
この世界は存在できないのだ。
だが、そのようなところから、世界を達観している量子場ではない。
ここに何があるのか。
それは。。。
人類のロマンがここにある。
デカいこと言い過ぎたか。。。。。。
。。。考えても見て欲しい
ある人は支配したがり、
ある人は、力を誇示したい
ある人は、現実の最中に自由を求め夢を見ている
その中で、人も、この世界もブレまくっていて、それはそれで楽しいところがあるが、結局はいじめ、いじめられる関係の縮図なのではないだろうか。
これらを超えるロマンがある。。。
3っつの世界を同時に超えることだ。
量子場の科学はここに向かっている。
ここで、、、、
誰にも、想像さえできない直観世界が待っているに違いない。。。。
少し、飲みすぎた。。。。。もう深夜、一人ジャンケンしてもう寝よう。
ルーツ亜体験
2019.11.09
昨日から、軽井沢へ小旅行、岩尾家のルーツ亜体験だ。親父の弟は、10年ほど前に95歳で他界した。叔父は生涯独身貴族を通し、少なからずの遺産を遺言で、一族郎党全てに分け隔てなく残したツワモノだった。その叔父が、生前多額の費用で岩尾家のルーツを調査するよう専門家に依頼した。その調査によると私たちのルーツは岩尾城の城主であると結論し、その調査結果を本にして残してあるらしい。そんな話を兄から聞き、その真意はわからないが、ひょっとしたら、自分の先祖がさまざまな思いを残しているかもしれないと思いたち、今回岩尾城跡を訪れた。軽井沢ホテルエキシブの宿泊先より車で二十分、岩尾城跡があったが、荒れ放題で城の痕跡は看板があるだけで何もない。しかし静かに目を閉じていると、あっという間に数分が過ぎ、かすかな意識の風を感じたように思う。兄から城を追われたらしい先祖が、隠れて生き延びたことは聞いていた。そんなところから、想像するに、私自身の子供からの性格もいつも目立たないところを好むところがあった。その性格は、私だけではなく、兄も親父も親戚もそんな感じだ。
その中で、一番表に出ているのは私だろう。そんな私もかあちゃん事、妻朋美を前に推し出し、後ろに隠れる事をいつも考えている自分がいる。もし、それが先祖からのトラウマであるなら、この調査を真に受け自分自身を解放してみようかと考えた。
自分には、トラウマらしきものが無いと思っていたところ、こんなひょんな事から変容すべき、トラウマを見つけた気がする。もう一つある。
もし、先祖が良い城主なら、幸せや豊かさを下々にも届けようとした良い徳があったに違いない。
量子場は宝の山であるが、その宝を先祖の城主や、叔父のように縁のある人に分け隔てなく、届けるのは、先祖が培った良い徳が行う自然な事なのかもしれないと思った。これは、独り言、つぶやきである。
お、おーっと嬉しくなった
2019.11.07
最近のお笑い番組についていけない自分がいる。
声だかで、早口に喋る内容は、機転が利いているのは、周りのそれを上回る笑い声で察することはできるが、なんとも悲しいことだ。
自分の頭が悪くなったのかと(耳があまりよくないのはある)疑うこともしきりだ。
しかし、そうとも限らんと自分に言い聞かせた。
なぜなら、量子の技術がここに来て加速しているからだ。
昔から、あまり人の話をよく聞く方でもなく早口な方でもないし
芸能界に大した興味はないのだから、なおさらだ、これで問題なしと決め込んでもいた。
そんな折、テレビで、三遊亭円楽が脳梗塞後復帰し、こんな事を言った。
「前のように早口で話せないけど、その分気持ちを込めて話せるようになった」
そんなコメントを聞いて、お、おーっと嬉しくなった。
現代は情報がお金になる妙な時代だが、円楽のような味のある人が、
多くなって、より心を込めた深みのある時代に変わってゆくかもしれない。
それは、おそらくぬか喜びだと思うが、
少なくとも量子の世界は音もなく、ざわめきもなく深い事を成してゆく。
私たちにどうと言ったことではない
2019.10.31
最近、量子関連の情報が広まっている。
引き寄せの法則を始めとした、心と現実の間を取り持つ量子に関して興味津々な人たちが、私のところにも大勢やってきている。その多くが、心熱き中年層の女性たちである。
量子力学は、アインシュタインでさえ、認めていなかった。どうして認められないかと言うと、単純に数式に表すことが不可能だからだ。
心の世界をどうして数式に表すことができよう。
例えば、幸せや、愛、憎しみ、友情などを数式で表す努力は、考えただけで不毛に思える。
では、どうして量子の存在を世界が認めたのだろうか。
それは、意識ある者の観察者効果による。
女性は直観的にこれらを何の努力もなく知る。数式などいらないのだ。
この心の直観世界が、観察者を伴った量子場の世界なのである。
一方で、量子の物理の側面だけを、取り出し工業的な装置、量子コンピューターや瞬間移動装置を考案するために、超優秀な科学者集団が今にも完成する勢いで励んでいる。この99パーセントは心という干渉を最小限にする努力なのである。
もし、量子でコンピュータが出来、それが気温の変化や心の影響で誤動作するなら、コンピュータとしての用を成さない。
だから、彼らは心の世界、意識の世界を排除する研究をしているのであって、心を対象とした研究は皆無に近い。
ここで、量子の本領は意識との関係であることを量子関連の人たちは百も承知だ。
ここが問題だ。
意識との関係は、工業的な製品にならないので、量子科学アカデミーのレベルでこれらの研究は排除されることになった。
これは、現代医学も同じで、気功や気、意識科学、またそのようなことに興味のある研究者をオカルトと称し、ボイコットしているのと同じだ。
だからと言って、私たちにどうと言ったことではない。
いや違った。。。どうと言ったことがある。
「心ある直感力を持っている人たちにとって、目の前に宝の山のごとく、手つかずの市場や未来がここにある」
現代科学よ、どうか、しばしの間この宝に気がつかないでもらいたい。