10人に一人
2019.12.17
アメリカに来るたびに思うことだが、
どうしてあんなに太っている人が多いんだろう。
前後の幅が身長に迫るぐらいの肥満体
10人に一人ぐらい。
相撲取りはそんな感じだが、彼らは
相撲取りとは思えない。
おそらく食べる量に関係しているのだろう。
そんなところから、
人は何のために食べるのか考えてみた。
ある人は、未来のために食事をする
ある人は、ご褒美として食べる
ある人は、惰性で食べる
ある人は、食べたいから食べる
ある人は、何年も食べたことない。
その食べ方によって
身体の傾向が決まるのかもしれない。
きっと未来のために食べる人は自然体
ご褒美で食べる人は、肥満していいる。
惰性で食べる人は、ぼんやり
食べたい時だけに食べる人は、筋肉質
何年も食べたことがない人は、わからない。
ここで、自分に問いかけた。
そういえば、ご褒美型だ
夜になると、ここぞとばかり暴飲暴食型だ。
ここ10年ぐらいメタボ傾向になっている。
そこで、考えた。
考え方を変えよう。
妻かあちゃんのように、未来のために
食べよう。
そしてもっと未来を創造しよう。
今まで、朝起きるとお腹がいっぱいの時も多かった。
そんなたいそうなことを。。
2019.12.10
量子の世界は混沌としている。
原始時代と同じだ。
原子の時代は
おそらく人間と動物の境もなかっただろう。
子供の頃車が走り出した頃
信じられないかもしれないが、信号さえなかった。
街の中心部で交通整理する人が、十字路の真ん中で
笛を鳴らしながら、信号の代わりをやっていたのを覚えている。
車は左側を走る決まりごとさえ、知らなかった。
馬車や冬では馬そりが、なんの不思議もなく往来していた時代だ。
電気が発明され、家に電気がついた頃
電気にプラスマイナスがあることも知らなかった。
日本では左側通行、電気にはプラスマイナスの
ルールがあることを、今では、知らないでは済まされない。
ここで、何が言いたいかというと
量子のルールは意識と人間との間で決められる
ということさ。
左通行は人間が決めた
プラスマイナスはその背後にある意識が決めた。
半分は人間の都合
もう半分は意識の法だ
別に考えなっくてもいいんだが
ルールがなくて、ゲームはできない。
バスケットボールにしても
ラグビーにしても
ルールを確認しないで、試合をすると
ひどいことになる。
同じように、生まれて誰しも
意識と共に量子を扱っているのにルールを知らないで
頑張っている。
だから病気になっている公算が高い。
量子力学は確かに非常に進んでいる。
今にも量子コンピューターが完成しようとしているぐらいだ。
だが、量子発見の本領は意識にある。
物理ではない。
量子の発見は不思議なことに、物理に引き戻している。
それもそうだ。
意識が入ると、物理数学が成り立たない。
こんな感じだ。
1プラス1は2だが、
代官様がゼロだ
といえば、ゼロになる。
そんな代官は排除しなければならない。
だから科学アカデミーは意識を全面的に仲間はずれにした。
意識は全知全能であるがために代官以上の大代官なのだから。
現代医学も気の力学や宗教を排除している。
その気持ちはよくわかる。
それはそれで、問題はない。
わけのわからない、神や天使、悪魔を考えていた時代に、
科学は進展しなかったのだから。
一方、量子場の技術的な進展は、そのわけのわからない世界に
ルールを設定したところから始まった。
常識から言って
論理と直観は相容れない
論理は直観を理解できない
直観が入るとかき乱され議論さえできなくなる
しかし、
直観は、論理を理解できる
もし
半分は意識
半分は人の都合
。。を受け入れるなら。。。。
神と人間の出会いがここにある。
そんなたいそうなこと。。。。。
ちょっとだけ言いたいだけさ。
絶対内緒だよ
2019.12.08
量子は本当に不思議だ。
観察によって変化するからだ。
それも観察者を観察しているようなのだ。
ちょうど
見る人が
愛のありそうな人を見ると、にっこりする
批判的そうな人に見られると、すぐにその表情を隠す
面白そうな人が見ると、緩む
怖そうな人に見られると、気がつかないふりをする
こんな感じで、観察者を観察しているような振る舞いをする。
物理学の世界では、こんなことは絶対認めたくない。
観察者が批判的でも好意的でも、変わらない事が科学の基本だ。
もし、観察者によって、振る舞いが変わっては信頼のある算数計算さえできない。
超難しい物理の数学式が全て無駄になる、、、
だから観察者効果をどのように消し去るかが、第一の研究課題になっている。
そんなところに持ってきて、量子場調整だ。
観察者によって変化する量子の性質は、量子そのものに愛が通じる証拠だ。
ならば、その万能な能力をもって
症状やトラウマを消し去ることも
新しい能力を創造することも
まだ見ぬ自分自身の個性と出会う可能性さえも開くことになる。
あとは、この関係での法則性を見つけることだ。
内緒だが。。。実は、もう12年前に見つけて実用化している。
絶対内緒だよ。
愛は万能であることもね。。。。
それが好きでたまらないというのに
2019.12.07
もっとも個性的な美は、染み付いた過去の習癖をふり払った姿にある。
普通、歪み癖のある性格が
自分の個性であり
丸ごと受け入れてくれる人が
愛のある人だと思う。
そのような人を子供の頃からずーっと待っている。
スピリチュアル系の美辞美麗で
あなたはそのままで、いいんだよ。
そのままで愛されるべき人なんだという。
深い意味ではその通りだ。
しかし
こんな事に近い。
顔にごはん粒や、何年も引きこもって歯を磨かないので口臭
それを見て、そのままでいいんだよと言っているような感じだ。
可愛い癖もあるが、被害者意識や、いじめなどの習癖はそうはいかない。
本当に会いたいのは、
その人にまとわりついた過去やその性格ではなく、その人自身との出会いである。
ある人は、見栄を張るのに忙しい。
ある人は、自分の主張が通らないだけで、切れる。
ある人は、すぐに被害者モードになる。
ある人は、音無しの構えだ。
これらの習癖は、どれもこれも月並みなもので、個性的ではない。
生まれた時から今までに、親か友人か誰かの真似した習癖であって、その人自身ではない。
自分が、その真似事が自分の個性と思っている場合
どんな人も、その真似事を愛することはできない。
だから、素晴らしい関係が難しい。
自分の愛している習癖を相手に押し売りしているのだから。
結局愛しているのは自分でもなく、相手でもなく実体のない真似事だ。
では、どのように染み付いた真似事を振り払う?
それが好きでたまらないというのに。
傷ついたスズメ
2019.12.03
森に住むスズメ
初めはそれが愛だと夢を馳せた。
その次に愛はそんなものだと思った。
その次に、愛だと疑わなかったものが、壊れかけた。
その次に、愛が自分にではなく、その人の都合だとわかった。
その次に、愛がお互いの押し売りになった。
その次に、愛が壊れた。
バカヤロウ。
一般的な破局。
その破局の中で自分自身を探した。
何がなんでなんなのか、さっぱりわからない
いつしか自分自身の中に、妙な安らぎを見つけた。
その次に安らぎではない、目の覚める様な空間を見つけた。
その次に、その空間から光のようなものが傷ついたバカヤロウを消し去った。
その次に、世界が色鮮やかに変貌した。
その次に、何が起こるかは、わからない。
それがいい。
都合が愛に変わり、破局も鮮やかに変貌するかもしれない。
もう元の単なるスズメではない。
量子場スズメさ。