超太っ腹
2019.12.30
無駄遣いは役に立つ
意識は無駄遣いの常習犯だ。
太陽は意識そのものにそっくりだ。
両方とも一瞬たりとも休むと世界はただ消え去る
それなのに、太っ腹だ。
太っ腹で無駄遣いの太陽
と欲張の人間
その間で繰り広げられるドラマ。
そのドラマを神のように見つめる者
そのドラマの中で欲にかられ我を忘れる者。
私たちはその中間だ。
その中間で優秀な人間だけが、幸せに生きる権利が
あるかのような資本主義世界
半分は真実であり、もう半分の嘘だが、
嘘の半分に思いっきり染まっている人間が、
この世界で説得力を持っている。
大自然から見ると、そのことはどうでもいいのだが。
問題はそのドラマだ。
私たちは太陽を背に受けて生きているが
同時に、その太陽の背後に意識という力を
持ち合わせ、
もう一方ではすぐにも
空前の依存社会がやってくる。
その社会は、合理的な倹約人生を持ってくるが、
その得するかのような論理が私たちの
意識を奪い去ってゆく。
このところは少し複雑だ。
私たちの意識が、太っ腹であるなら、その意識は太陽に近ずく。
逆に、理屈や損得ケチ意識に慣らされてしまうなら必然的に意識を手放す。
意識が量子を生み出している。
その意識を失うならどうして裕福になれる?
支配的な性は、自身を倹約しようなどとは決して思わない。
社会から利益を汲み上げ、同じような仲間とつるんでさらなる悪巧みを企むことが彼らの趣味だ。
だから、ここにトリックがある
私たちは利口者になったつもりで倹約するが、
それは、悲しいかな思う壺なのだ。
ではどうしたらいい?
簡単だ。
便利さと倹約が豊かさである
その論理を切り離せばいいだけの話だ。
だが、そうはいくまい。
途方もなくリッチな量子が近くにいることさえ
知らないのだから。。。。
昨晩は、ラドン放射能関連の社長や大学教授、元官房長官などの超おじさんグループに歓待を受けたが、彼らは超太っ腹だ。
だからわかるのさ
2019.12.27
女性は子宮で考えるというが、
誰しも普通脳で考え
その中で思考を巡らす。
その巡らしに
人にそれぞれに気づかない基本的な思考パターンがある。
ある人は、オレが、俺がぁ。
ある人は、でもぅ、でもぅ。
ある人は、やっぱり、やっぱり。
ある人は、バカヤロウ、バカヤロ。
ある人は、くそ、くっそう。
ある人は、怖い、怖いぃ。。
ある人は、見てる、見てる?
そのパターンによって重心移動が異なっている。
それはそれでいいのだが
その偏った巡らしが、様々な思いを伴って
頭の中を超え外にまで揺れ出す場合がある。
そうなると量子がそれに従って揺れ
良からぬ状況になってくる。
空想と現実の違いがわからなくなるため、
不思議なことが起き始めるのだ。
道路に足つけて車運転している感じだ。
ある人は、気が変になる
ある人は、妙な病気を創って自分を守る
ある人は、引きこもらざるを得ない。
ある人は、心、身体を含めてデタラメになってしまう。
ある人は、この世界から逃げ出したくなる
つまり、思考が脳から大きくブレ出すと
決まって自滅するのだ。
どうしてわかるかって
体験済みさ。
特に心がデタラメで常識がわからない。。。
。。だからわかることもあるのさ。
ギヤが入ってない
2019.12.27
思考は現実化すると言われている
それはそうだ。
しかし
思考がすぐ現実化するわけではない。
思考が頭の中で巡らされ、
意図として
言葉や行動で表現された時
量子が解き放たれ
現実を創造する。
頭の中では、
思考は巡っている。
しかし
その時は、まだ量子は活動していない。
これは、大事なことだ。
西洋の考え、特に宗教の世界では
頭の中で、良からぬことを妄想ただけで罪を犯したという。
その罪は懺悔しないと、天国にはいけない。
もし、そうであれば私などは地獄行き間違いなしだ。
先日、数年前に量子場師になったある好青年がやってきた。
施術の後ふっともらした言葉
「僕は自分自身に働きかけている時に、
余計なことを考えてしまうのでダメだと思ってしまうんです」
私はいった。
「それは問題ないんだよ」
「えっどうしてですか」
「そのようになっているからさ」
「えっわかりません。どういうことですか?」
「車の運転をする人かい?」
「はい、好きな方です」
「車の運転する時、余計なことを考えたことはない?」
「いつもです」
「でもちゃんと運転しているだろ」
「はい」
「それと同じさ。余計なことを考えても、手や足が思考と一緒に動いているわけではない」
「つまり、頭の中のおしゃべりは、まだ現実にギヤが入っていないのさ」
「同じように、量子場調整も頭の中で余計なことを考えても量子場には関係ない」
「なるほど。そうなんですね」
「そう、試しに思いっきり彼女のことを考えて自分自身に施術してみな。彼女になることはないと思うよ」
とんでもない話
2019.12.25
人間、とんでもないことをやらかす。
電気を発明してから、そう月日も経ってはいないにも関わらず
電話や、テレビを創ってしまった。
アフリカの住民は、その箱の中に人が入っていると
怒り心頭だった。
その後、数十年経って、彼らもスマホを当たり前のように
使いこなしている。
一方で、食べるのもやっとの世界で
空を見上げると、轟音とともに大きな鳥が飛んでいる。
自分たちの現状をよそに、
何万メートルもの上空で、食事をしていること
も知ってはいるが、自分たちと現実があまりにも違う。
しかし、
幸せを考えるなら、さほど変わらない。
食べたくもない粗末な食事を空の上で食べている人間。
苦労の末に食べ物にありつき、口にいっぱいの幸せ。
何が幸せなのか。
物理的な科学技術が、それほどの幸せを創ったわけではない。
しかし
しかしである。
意識の科学は、人間質的な変化を起こすのだ。
意識と無意識の間に
橋をかけること
それは、人間と神の間に橋をかける
誰しも求めてやまないものがここにある。
超裕福な人間も過酷なサバイバルにいる人間も
同等な、幸せがここにある。
宗教の話じゃないよ。
とんでもない話さ。
赤い糸
2019.12.25
ある人は、身体を動かそうとしても反応がない。
ある人は、妻に話しかけてもシカトされている。
ある人は、仕事をしたいが、そのスキルがない。
ある人は、死にたいが死ねない。
不幸とは、思うようにならないことだ。
だが、自分の能力を含めて思うように変える力があるとしたら
誰しも、求めてやまないだろう。
それが、意識と潜在している意識との間に
橋をかける技術だ。
それはちょうどこんな感じだ。
深い谷があるとする
その間に橋をかけたい。
しかし、あまりにもその谷は深く恐ろしい形相をしている
橋をかけようにも、その幅100メートルもあり、単純に丸太を渡して
架けることなど不可能だ。
そんな場合、こんな方法がある。
石に糸を結び、その石を何百と向こう岸に投げる。
その糸を結わえ、その糸の束にロープを結わえ、
その次に何百というロープをガイドに繋ぎ合わせた丸太を通す。
その丸太をさらに強固になるように、強固なロープで橋を吊る。
このようにして、最初は細い糸だったが、次第に現実の橋がかかる。
ここで、この糸よりも細い糸がある。
それは、想像の糸だ。
それが量子の糸である。
その糸は、運命の赤い糸に似て、目に見えないが
本物を引き寄せるのだ。