真似ごと

2019.11.29
子供の頃は、真似をする。
真似をせざるを得ない。


もし、自分の親が狼だとすると、真似無くして生きられない。
もし、自分の親が、貧乏だったら、大金持ちだったらいつの間にかその真似事をする。
親が善良な性格でも、友達がワルで格好良く見えたら、親はさておいてその真似をする。


それらが生きるすべってやつだ。
そして
いつの間にか、それが自分だと思って、真似をしてきたことを忘れる。


それを非難しているわけではない。

そうせざるを得ない状況に私たちは生まれた。
それが悪いわけではない。


全く。

その真似事がうまくいっているいないにかかわらず、
ある時
気がつく。


それは、リハーサルだったことに。
それは、本音で生きるための、準備だったことに、はたと気がつく。


時には、たくさんな騒動
それは間違いなく、真実で愛だったが、劇の中の配役を演じていたかのようだ。


その役は、役に立った。

しかし
いつまでもチョイ役を演じていられない。
今度は本音の本気、本番だ。


量子場調整はそのためのツールとして生まれた。
2019.11.29 22:15 | 固定リンク | つぶやき

神合う、食い違う

2019.11.27
自分の歯をモルモットにして曲がりなりにもその法則を見つけた頃、
東京歯科大学の学長をしていた石川達也先生を訪れた。


石川先生は、わたしのような一介の人間の手紙を読み、学長室に招いてくれ、手紙の内容を確認するかのように、この法則を自著の中に当院の名前と一緒に入れますが、いいですかとまで、仰ってくれた神のような人だ。

最近、また稀な出会いがあった。
某大学の名誉教授らに、一席設けていただける妙な偶然が働いた
この中で、こんな話になった。


教授が言った。
 私は、数百のモルモットには気の毒だったが、随分とたくさんの実験をしたものだと言った。


その話を聞いて、
量子には興味がある人なのだろうと、その糸口と思って
私のモルモットは私です。と言った。
なんのことかわからず、ポカーン。
おまけに、量子のファクターは、意識なのです。
さらにポカーン。


科学分野のファクターは意識であるはずがない。どれだけ死ぬはずのものが生き残っているかどうかだ。
話せば、話すほど距離が遠くなるような、なんとも専門家とは、合えば素晴らしいことになるが食い違うと、なんのことやら、お互い噛み合うのは難しいものだ。
2019.11.27 20:55 | 固定リンク | つぶやき

トンデモない、トンデモナイ

2019.11.27
誰しも、生まれた頃はおそらくトンデモナイ大きな意識を持っていた。
逆に観ると、大人は、おそらくトンデモなく小さな意識で死んでゆく。
では、
意識はここで何をしているのだろうか。


これをひっくり返し
生まれた時は、トンデモなく何も知らない。
大人は、トンデモなく意味のある事をいっぱい抱えている。
では、
知識はここで、何をしているのだろうか。


最近、トンデモなく素晴らしいことに気がついた。
意識が大きくなる技法のことだ。


意識が意識を観察すると、意識は意識に還り、
子供の時のように意識が増大する。
意味のあると思っていた知識は、ゴミだった。


このことで、量子場調整そのものが、意識を持つに至った。
それは、今はやりのAIが意識持ったようなものだ。


意味がわからないかもしれないけど。。。
すごいことさ。
わたしの気持ちは、トンデモなく有頂天。。。。。
2019.11.27 00:11 | 固定リンク | つぶやき

避けなければ。。。。

2019.11.24
思い出す限り、子供の頃より思考の速さが随分と遅くなった気がする。
記憶力も悪くなった。


思考の遅さが、記憶力の悪さであることは、薄々気がついていたが、これほど正比例しているとは、自分ながら驚きでもあり、呆れる。

だが、反対のことにも気がついた。
思考が遅くなった分、周りとの関係がよく見えるようになった。
最近では、曲がりながらも長編小説も書ける自分がいる。


ある日本のテレビ局で、アメリカの著名な超能力者が出演し、その中で思考を止めると、どこに失踪した子供がいるか目に浮かぶという実証実験が放映されていた。

目に浮かぶのは、その人にしかわからないが、脳波の状態は検査できる。
その脳波の結果は、驚くべき内容だった。
まさに思考が停止しているかのように、脳波の活性を示す赤い点滅が消え、青に変わリ、ゆっくりと失踪者の場所をスケッチし始めた。


超能力者のように常識を超えた人たちは、思考をとんでもなく速く使っているのだろうと考えるのが普通だ。
しかし、ここで示す結果は逆で、思考はほぼ止まっている。


その時、自分の今の状況を思いながらも考えた。
「頭脳の明晰さは思考の速さかもしれないが、思考が遅くなるのも一つの能力かもしれない」


 現代の教育は、多くを記憶し物事を早く処理する能力を優先している。
それはそれで問題はないが、遅く思考を止めるなどという教育は聞いたことがないが、ここに何かあるのかもしれない。


思考はそう簡単には止まらないが、もし思考を意図的に止めることができるなら、リモートビューだけではなく、過去未来を見透すようなことが可能になるかもしれないということだ。

最近は思考の速い頭脳派は、AIに負かされる時代になっている。

もし、そうなら私の出番はまだある。
しかし、思考が止まり恍惚の人になるのは、避けなければ。。。。。
2019.11.24 18:49 | 固定リンク | つぶやき

引き篭もり

2019.11.22

ある人は幼いうちから学校にもいかず、引きこもり30年、これといった特技もなく親の脛をかじっている。
ある人は、酔っ払って運転する常習犯だ。
ある人は、能力があるのに、発言したことがなく、いつも音無しの構えだ。


進んだ宇宙人から見ると私たちは、意識の使い方を知らずに、酔っ払って引きこもり、音無しの構えを決め込んでいる人たちに見えるだろう。

幸か不幸か現代は
一生引きこもっても、常時酔っ払っていても、薬物依存症でも他人に迷惑をかけずに生きられる。


ここで、このような生き方を、批判しているわけではない。
逆に、ここに何かあると、考えているくらいだ。


これらに共通していることは、
「たいした迷惑かけないから、勝手にしておいてくれ!」
そんな感じだ。


ここに自由がある。

意識は自由が好きだ。
意識は自由そのものだが、、、


ここで。。。。

彼らが、その自由がより生きた自由を生み出す事を知ったら

「この世界の主役に躍り出る」に違いない。
 
 創造が始まるからだ。
 どうして世間のせわしなさの中で、創造ができようか。
 自分さえ失っているというのに。


 発達障害と言われ育った人の中に、少数超創造的な人がいる。
そんな、可能性が篭った自由の中にある。


本来、自由な世界でしか、生きた自由を見つけられないのだ。
。。。。。。ちなみに、私は今でも半分引き籠りの中にいる。


量子場師の半分の半分、そのまた半分も引きこもりの中にいる。
その自由がないなら、どうして生きた自由や個性を見つけられる?
2019.11.22 23:57 | 固定リンク | つぶやき

 

- CafeLog -