私たちにどうと言ったことではない
2019.10.31
最近、量子関連の情報が広まっている。
引き寄せの法則を始めとした、心と現実の間を取り持つ量子に関して興味津々な人たちが、私のところにも大勢やってきている。その多くが、心熱き中年層の女性たちである。
量子力学は、アインシュタインでさえ、認めていなかった。どうして認められないかと言うと、単純に数式に表すことが不可能だからだ。
心の世界をどうして数式に表すことができよう。
例えば、幸せや、愛、憎しみ、友情などを数式で表す努力は、考えただけで不毛に思える。
では、どうして量子の存在を世界が認めたのだろうか。
それは、意識ある者の観察者効果による。
女性は直観的にこれらを何の努力もなく知る。数式などいらないのだ。
この心の直観世界が、観察者を伴った量子場の世界なのである。
一方で、量子の物理の側面だけを、取り出し工業的な装置、量子コンピューターや瞬間移動装置を考案するために、超優秀な科学者集団が今にも完成する勢いで励んでいる。この99パーセントは心という干渉を最小限にする努力なのである。
もし、量子でコンピュータが出来、それが気温の変化や心の影響で誤動作するなら、コンピュータとしての用を成さない。
だから、彼らは心の世界、意識の世界を排除する研究をしているのであって、心を対象とした研究は皆無に近い。
ここで、量子の本領は意識との関係であることを量子関連の人たちは百も承知だ。
ここが問題だ。
意識との関係は、工業的な製品にならないので、量子科学アカデミーのレベルでこれらの研究は排除されることになった。
これは、現代医学も同じで、気功や気、意識科学、またそのようなことに興味のある研究者をオカルトと称し、ボイコットしているのと同じだ。
だからと言って、私たちにどうと言ったことではない。
いや違った。。。どうと言ったことがある。
「心ある直感力を持っている人たちにとって、目の前に宝の山のごとく、手つかずの市場や未来がここにある」
現代科学よ、どうか、しばしの間この宝に気がつかないでもらいたい。
歳をとって病床にいるのは嫌ではないのか
2019.10.30
日本人の平均寿命は、男性 81、09歳
女性 87、26歳
これは世界でも男性が3位で女性は2位らしい。
しかし、これを単純に喜んではいられない。
では、健康寿命はと言うと
男性72歳
女性74歳で
男性は約9年、女性は13年もの間介護や、病床にあることになる。
この間、中には幸せに介護老人になっている人、不幸にも頭が変になってベットに拘束されている人もいる。
国は、健康保険の心配もあり、健康寿命を伸ばそうとスポーツ奨励や娯楽など知恵を絞っているようだ。
ここで、量子場調整術からの提案がある。
若い時、20、30代ぐらいまではがむしゃらに運動をしても、能力や記録は伸ばせるところがある。それは身長が伸びている、歯や骨格が成長している、その力そのものが、体の調和やバランスを取る能力があるからだ。
しかし、30才を超える頃から、今までの同じようなトレーニングをしても、体力が落ち始め腰痛や疲れが回復しないなど、なかなか思うようにいかなくなる。
ここで、私たちは他の調和力やバランス力を知る必要があるのではないだろうか。
その方法がある。
今までの体力的な意識的な努力ではなく、意思を通して無意識力を育てるアートに近い方法がある。
その一つが、量子場調整術である。
この方法は、とても面白く、誰しもの心を奮い立たせるに違いない。
身体の状況が、気力や幸せ感を決めるのとは逆に、意思が身体の状況や心を変化させ、現実を創るのだから。
このことで、現実的に何ができるのだろう。
それは、こんな感じだ。
もし病床のベットにくくりつけられ、身動きができなくても、意思によって身体を意思を駆使して本来の自分自身を変化創造できるのである。それが叶わなくとも、何もできない身体の被害者ではなくなる。
神魔人のごとき
2019.10.27
ある人はプロ目指して努力に努力を重ねているが、一向に進歩しない。
ある人はぬくぬくそれほどの努力なくても全てうまく行っているが、一瞬死にたくなる。
ある人は、頭が変になりベットに拘束されて、その辛さでさらに感情まで変になりそうだ。
ある人は、病と闘い疲れ果て今にも負けそうだ。
ある人は、次から次に襲ってくる老化の波に、うんざり手をこまねいている。
これは、その状況の中でありのままなのだが
松本白鸚演じるラマンチャの男は
「一番憎むべき狂気とは、あるがままの世界にただ折り合いをつけてしまって
あるべき姿のために戦わないことだ」
なんて、凄い言葉を表現することか。
ありのままと戦うことが、狂気と言われがちな世の中で、こんなことが言えるのは
さすが、芝居の世界。
では、どのように戦えと言うのか。
ここに量子場の出番がある。
意識あるものの指示を待っている、神魔人のごとき能力を持った量子の群れに気がつくこと。
異様に見える世界が、最もまともな世界である可能性がないかな?
その人の心意気
2019.10.26
うちのかあちゃんこと妻朋美は、出会った時から芝居がかっていた。
そのかあちゃんが、しきりに誘う芝居の世界。結婚して9年を迎える今まで、一度も芝居の誘いに乗ったことがない。
芝居やミュージカルの良さはよくわからないタイプだ。
普通は、断るのだが、今回は少々違っていた。松本白鸚のラマンチャの男
パンフレットにこのように書いてあった。「夢とは、夢を叶えようとする、その人の心意気だ」この言葉を聞くなり、心のどこかで鐘が鳴り響いた。はじめ、なんとも妙な世界と思いつつ観続けていると
芝居の中の現実と狂気の世界が交差しているのに気がついた。
だが、この狂気がまともに見えてくるのは不思議だ。 一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、
あるべき姿のために戦わないことだこれは、私たちの状況に似ている。健康な頃は、現実に重きを置いていたものが、徐々に妙な習慣や
症状や病気、狂気と重なる。
そしてそれが、真実であるように折り合いをつける。
それが、憎むべき狂気であると言っているアロンソ・キハーナことドンキホーテ。この男、ドンキホーテはこの狂気と戦っているのなら、非情なほどまともなのは彼の方だろう。この言葉と符合して思うところは同じだ。「夢とは、夢を叶えようとする、その人の心意気だ」松本白鸚「ラマンチャの男」に感謝!誘ってくれたかあちゃんにも感謝!
自然体
2019.10.24
病気は、自然体とは同居できない。
これを逆に観ると、病気は不自然体ということになる。
だから健康を取り戻す起点は自然体にある。
では、どのように、自然体に戻れるのだろうか。
ここが問題だ。
誰しも身体の軸や心にブレがある。
回転するコマや車輪の軸がブレるに従って、速度は低下し揺れが大きくなる。
それは自然といえば、自然なことだ。
しかし、これを放っておくといずれ、間違いなくコマは倒れ、車軸は破壊され動かなくなる。
誰しも、いずれ終わるのだから、それはそれでいい。
ここでも、しかしである。
コマは倒れ、身体は動かなくなるが、人は生き続ける。
人間そう簡単には死なない。
。。。量子場調整は、病気や死に逆らうものではない。
生きている間は、自分らしく自然体でいるための技術なのである。