真似ごと
2019.11.29
子供の頃は、真似をする。
真似をせざるを得ない。
もし、自分の親が狼だとすると、真似無くして生きられない。
もし、自分の親が、貧乏だったら、大金持ちだったらいつの間にかその真似事をする。
親が善良な性格でも、友達がワルで格好良く見えたら、親はさておいてその真似をする。
それらが生きるすべってやつだ。
そして
いつの間にか、それが自分だと思って、真似をしてきたことを忘れる。
それを非難しているわけではない。
そうせざるを得ない状況に私たちは生まれた。
それが悪いわけではない。
全く。
その真似事がうまくいっているいないにかかわらず、
ある時
気がつく。
それは、リハーサルだったことに。
それは、本音で生きるための、準備だったことに、はたと気がつく。
時には、たくさんな騒動
それは間違いなく、真実で愛だったが、劇の中の配役を演じていたかのようだ。
その役は、役に立った。
しかし
いつまでもチョイ役を演じていられない。
今度は本音の本気、本番だ。
量子場調整はそのためのツールとして生まれた。