引き篭もり
2019.11.22
ある人は幼いうちから学校にもいかず、引きこもり30年、これといった特技もなく親の脛をかじっている。
ある人は、酔っ払って運転する常習犯だ。
ある人は、能力があるのに、発言したことがなく、いつも音無しの構えだ。
進んだ宇宙人から見ると私たちは、意識の使い方を知らずに、酔っ払って引きこもり、音無しの構えを決め込んでいる人たちに見えるだろう。
幸か不幸か現代は
一生引きこもっても、常時酔っ払っていても、薬物依存症でも他人に迷惑をかけずに生きられる。
ここで、このような生き方を、批判しているわけではない。
逆に、ここに何かあると、考えているくらいだ。
これらに共通していることは、
「たいした迷惑かけないから、勝手にしておいてくれ!」
そんな感じだ。
ここに自由がある。
意識は自由が好きだ。
意識は自由そのものだが、、、
ここで。。。。
彼らが、その自由がより生きた自由を生み出す事を知ったら
「この世界の主役に躍り出る」に違いない。
創造が始まるからだ。
どうして世間のせわしなさの中で、創造ができようか。
自分さえ失っているというのに。
発達障害と言われ育った人の中に、少数超創造的な人がいる。
そんな、可能性が篭った自由の中にある。
本来、自由な世界でしか、生きた自由を見つけられないのだ。
。。。。。。ちなみに、私は今でも半分引き籠りの中にいる。
量子場師の半分の半分、そのまた半分も引きこもりの中にいる。
その自由がないなら、どうして生きた自由や個性を見つけられる?
生得権ってやつさ
2019.11.22
太陽の光も空気も水も大地、愛もあり余るほどの世界に住んでいるのに、
不思議なことに、お金がないと不幸せであるように世界全体が信じこまされている。
確かに、お金や、財産がなくなったらこの世は、辛いものになる。しかしお金や財産は人間がつくったモノだから、本来水や太陽よりもたくさんあるはずのものだ。
その現社会の中で、いくらでもつくれるものを制限するトリックがまかり通っている。それが経済論や情報というもののトリックだ。
その考えに人は、命さえかけてしまう。
本当に命を賭けるに値するものは、なんだろうか。
もし、騙され騙され、意識が翻弄して、人生が終わるなら私たちの、有り余るほどの意識を持って生まれてきた、その意識さえも、消え失せる。
では、その意識は本当にありあまるほど、無尽蔵にあるものなのか。
そう、有り余る意識に気がつかないだけのことだ。
お金が、有り余るほど持っていると称する人たちは、この世の中で数パーセントいる。しかし、彼らは、見せかける喜びに浸っているのであって、有り余るほどの意識を持っているかといえば、そうとはいえない。
水を必要以上に飲んでも幸せになれないのと同じように、お金を抱えても幸せにはなれない。
お金が、人生を創造しているかのように思えるが、本当は支配できる夢を見ているだけの話で、本当の価値あるお金は意識である。
お金が、身体を創造しているのではなく、意識が人生や身体を創造している。お金が人やものを支配するが、意識はお金も幸せも愛も創造している。
であるなら、意識をふんだんに使いこなす方がいい。
では
その失いかけている意識を取り戻すことは、可能なのか。
そして、使いこなすことができるのか。
。。簡単にできるのだよ。
それが、人間の生得権ってやつだ。
そのことで、何ができるかって?
それは、
お金を含めた人生の主人公になることさ。
奴隷になることではないのだよ。