遊んでられん

2019.12.07
科学者が物や現象を観察する時、その観察者はその人の知識でありその人だ。

私たちが、健康になりたいとして思い描いた、その思いは誰が観察するのだろうか。
物を見ているのと違って、思いは目に見えない。


それは、、
はじめのうちは、その人であるが、徐々に意識そのものが見始めるのだ。
ここが問題だ。


意識そのものが観るということは
そこに人の判断がないがために
生まれるものは量子なのである。


つまり、量子は意識の子供というわけだ。
ということは、量子は意識を持っていることになる。


そのために、物事が加速し始めることになる。

この時、物や自分自身の習癖にとらわれた見方をすると、意識が観ることを遮ることになる。

私たちが量子を生み出すわけではない。
意識がその全知能力の能力において量子を生み出すのだ。
私たちは、理屈であり、損得勘定の人としての欲望だ。
それが悪いわけではない。
それがなければ、量子も大忙しだ。


遊んでられん。
量子はそう言っている。
量子は神の王子のように、遊びの達人なのだ。
2019.12.07 18:00 | 固定リンク | 思いついた事

 

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