そこに神がいた
2019.11.13
動物には、時に人よりも真摯な犠牲者意識がある。
しかし彼らといえども、人間のモルモットになって、薬学や科学のために犠牲になろうなどとは思っていないだろう。
もし、モルモットが人間だとしても、その犠牲がどれだけの真実を語るか知れたものではない。
ある時期いくつかの医科大学で、歯の噛み合わせ状態が健康状態に、どのように関係するか研究論文がしきりに提出されていた。
例えば、学生を対象とした実験では一番奥の歯の親知らずを、故意に1ミリ低くすると、身体や精神にどのような変化があるか等等、統計的に調べたものだ。
その前後に、犬の歯の噛み合わせを故意に数ミリ左右にズラすとどうなるかの実験がされ、その内容は、新聞にも報道された。
実験犬5匹のうちの、ほとんどが背骨が曲がったり、様々な症状をの中でヨダレを垂れ流し、最後は半狂乱でのたうちまわり、立てなくなり早死にした。
歯科だけではなく、医科科学もこの関係を、明らかにしたいと多くの学者が、トライしたが難しい問題に突き当たった。
1、動物保護の問題
2、それほど危険な実験を人に対してできることなのか
3、もし、そのことに同意した健康な男女がいたとしても、
ある人は何となく頭がぼんやりした
ある人は、胃が重い
ある人は何ともない
統計にもできないほど、微細で、人によって異なる。
そんなわけで、人の場合、歯がなくなるまでも実験するわけにはいかない。
だから、この問題の解明は今も頓挫している。
そこへ持ってきて私の出番だ
これらのことを、承知で自分自身をモルモットにして、自分の歯がなくなるまで、意図的に歯を削り、歯列と身体の実験を10年以上にわたって調べた。
結果は散々、まさにの犬のヨダレを垂れ流し、たうちまわる気持ちがわかった。
その中で、歯と身体の規則的な関係は曲がりなりにも掴んだが、その窮地は半端ではない。
しかし、しかしである。
ここに救済者がいた。
そこに神がいたのだ。
その名は量子である。
思いに即して
時には魔人のように、時には女神のように現れ出る、目に見えないほど小さな神が。
彼らは、歯のかみ合わせなど、一瞬に変えられる。